「見えるようになれ」   04.09.26
                ルカ18:35〜43

 神さまが望んでおられるのは、人が暗闇のような所で生きるので
なく、神さまからの愛の光に照らされ、包まれながら生きることです。
 それゆえに神さまは、人から暗闇を取り除き、光を与えようとして
くださいます。
 その日も、ひとりの盲人が、闇でなく光に生きる者に変えられました。
 それは、その盲人がイエスさまと出会うことによってでした。
 その盲人は、噂に聞くイエスさまが側を通っておられることを聞いて、
じっとしてはいられませんでした。必死に「憐れんでください」と叫びを
あげます。<主をたずね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ。
近くにいますうちに。>(イザヤ55:6)との御言葉のように、チャンスを
逃さず、呼び求めました。私たちの生活の中では、自分の力やこの世の
力により頼もうとして、神さまに呼び求める機会を逃してしまうことが
あるかもしれません。イエスさまとの出会いのチャンスに敏感でいたいと
思わされます。
 求めに応える主は、盲人が求めた以上のことをその生活に生み出して
いかれます。彼は、主を讃美し、主に従い、更には人々に主を讃美する
心を与える人になりました。主は出会った者に、思っていた以上の新しい
生き様を与えてくださっています。わたしたちは、それに気づく信仰の目を
持っていたいのです。
 この盲人は、目が開かれた時、最初に何を見たのでしょうか。
 「見えるようになれ」とおっしゃるイエスさまが目の前にいらっしゃいました。
 そして、その主のまなざしが、この盲人をしっかりと捕らえています。
 一番最初に彼の目に飛び込んできたのは、主のまなざしでした。
 この主のまなざしこそが、人間にとって何よりも見えなければならない
ことです。
 そのまなざしは、これから十字架にかかろうとされている方の
まなざしでありますから、「あなたを命がけで救う」との決意に満ちた
まなざしであり、救いたいとの憐れみに満ちたまなざしです。
 そのまなざしに気づいた時に、人は、自分が闇でなく光に生きて
いることを確信します。